大判例

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高松高等裁判所 平成4年(ラ)14号 決定 1992年8月07日

抗告人

甲野春子

右代理人弁護士

中西一宏

高田憲一

相手方

甲野一郎

主文

一  原審判を取り消す。

二  抗告人の本件申立てを却下する。

三  抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一本件抗告の趣旨及び理由は、別紙のとおりである。

二一件記録によると、抗告人と相手方は夫婦であり、両者の間に昭和六一年二月一二日出生した長男二郎があるが、相手方が同人の両親との同居を望んだのに対し抗告人が同居を拒否したことから平成元年三月八日、相手方が二郎を連れて実家に戻り、以後抗告人と別居状態にあるところ、抗告人は、平成二年九月一三日、家庭裁判所に夫婦関係調整の申立てをし、その調停の中で二郎との面接を求めたが、調整がつかず調停は不成立となり、二郎との面接についても相手方と取り決めができなかったため、同三年九月一八日、改めて家庭裁判所に二郎との面接交渉を求めて審判の申立てをしたものであることが明らかである。

そこで検討するに、離婚して親権者でなくなった一方の親は、子に面接する方法としては面接交渉権の行使しかなく、これが行使に際し親権者である他方の親の親権行使との調整がつかない場合においては民法七六六条、家事審判法九条一項乙類四号により家庭裁判所が右権利の具体的行使に関しその許否をも含め審判をすることができるのであるが(ただし、この場合は、子の福祉は、積極的要件ではなく、子の福祉に反しない限度で認めるという消極的要件となる。)両親が婚姻中にあっては、それぞれの親は親権を有し、子に対する面接は当然親権の中に包摂され、親権とは別個に親の権利としての面接交渉権が存在するわけではない(面接交渉権は、親権者でない親に認められる権利である。)から、親権とは別個独立の面接交渉権の行使として他方の親権者との調整を求めることはできないものというべきである。前示民法及び家事審判法の各法条は婚姻中の夫婦が俗にいう事実上離婚状態にあるということでは、準用ないし類推適用が認められるわけではない。

そうであれば、本件申立ては、親権者間における親権行使の衝突ないし不一致に対する救済申立てと解すべきこととなるところ、かかる場合の解決方法は、我が民法には何らの規定も置いていない。このような立法の意図が奈辺にあるかは必ずしも明らかではないが、「家庭に法は入らず」の法諺どおり、子に対する親権の行使に係る紛争は、親権者間で解決し調整すべきものとし、いたずらに法による介入を避けたものではないかと推測されるのである(例えば、子を小学校へ進学させるについて一方の親権者が公立学校を望み、他方の親権者が有名私立校を選ぶべきものとして対立したとき、或は子の躾につき、一方が子に対し朝には必ず両親に挨拶するように求めるのに、他方はその必要がないといってさせないときに、裁判所は親権者の一方の申立てにより子は公立学校へ進学させよ、朝の挨拶はさせなくてよいなどと審判できるものでないことは極めて分りやすい道理であろう)。本件のように、子を一方の親権者に会わせる、会わせないとの紛争も、面接させる目的が何であれ結局は親権行使に関する紛争であり、裁判所が面接の日時、場所、回数及び方法等を定め面接させよと審判することは、親権行使の方法、内容(面接が単なる形式ではなく必然的に子に対する種々の監護、教育等の実質的内容を伴うものである。)について審判することであり、前示の二例と何ら異るところはない。

すなわち、親の子に対する親権の行使は、社会通念に照らし子の福祉の上から著しく相当性を欠くような場合を除き、親権者の自由な判断に委ねるべきであり、親権者間に親権の行使につき一致を見ず対立を生じたとしても親権者間の子の福祉を第一にした自主的解決にまつべきであって、裁判所はいたずらにこれに介入すべきものではないといわねばならない。

三よって、抗告人の申立てを一部認めた原審判は相当でないからこれを取り消し、抗告人の本件申立てを不適法として却下し、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官安國種彦 裁判官田中観一郎 裁判官井上郁夫)

別紙抗告の趣旨

原審判を取消し、本件を徳島家庭裁判所へ差戻す。との裁判を求める。

抗告の理由

一 抗告人(原審判の申立人、以下申立人という)は、要旨、毎週一回の事件本人との面接並びに事件本人の誕生日の面接及び事件本人が通う幼稚園又は学校の行事における参加を内容とする、事件本人との面接交渉を求めて徳島家庭裁判所へ審判の申立をした。

同裁判所はこの申立に対し、上記のとおり申立人が幼稚園又は学校における行事、授業参観等に参加するという形態による面接交渉を認めたが、その余の面接交渉は否定する旨の審判をなした。

当該審判は母の子に対する愛情、母子間の面接交渉の重要性への理解を欠如した皮相的事実認定に立脚してなされたもので到底承服し難い。

二 審判申立に至った経緯は、審判申立書中の「申立の実情」及び審判に先立つ夫婦関係調整調停事件{平成二年(家イ)第三〇三号}の家事調停申立書中の「申立の実情」等に記載したとおりであるが、これを要するに、申立人は結婚後一時相手方の両親と同居したが、同人らの封建時代そのままの生活習慣に馴染めず、かつ同人らの申立人ら第三者に対する思いやりを欠如した自己中心的性格に打ち融けることができなかったため、相手方とともに別居したこと、その後昭和六一年二月に事件本人が誕生したこと、申立人は相手方及び事件本人と円満な家庭生活を送っていたが、相手方は両親の「長男だから実家へ戻れ」との執拗な慫慂に屈する形で申立人に相談することもなく当時三才の事件本人を強引に連れ去って両親の許へ戻ったこと、その後申立人は相手方及びその両親の妨害により全く事件本人と面接する機会を失っしてしまったことなどの事実が本件の経緯として存したものである。

三 かような経緯を経て申立人は離別した事件本人との面接を何とか実現しようと考え、まず平成元年に申立人単独で相手方との離婚調停{平成元年(家イ)第五二号}の形をとり、次いで本件代理人に依頼して夫婦関係調整調停{平成二年(家イ)第三〇三号}の申立をして相手方と幾度となく話し合いの機会を持ったが、相手方には常にその両親が同行して相手方には何も話させず、「出て行った嫁に孫を会わせることはできん」などと頑迷に主張し続けたため、調停委員の申立人の心情を考慮した真摯な説得も効なく調停は不調に終わり、本件審判申立に至ったものである。

四 このように申立人と事件本人の面接交渉を妨害する者は相手方及びその両親であって、申立人の側において面接交渉に支障を来す事情は何ら存しない。

原審判は「申立人は事件本人との面接になると感情が先行するためか必ずしも事件本人の気分や状態に合わせて面接することに成功していない。調停の際にまた幼稚園で事件本人と会っても二人の気持ちにどこか行き違いがある」などとの表現で、申立人の面接交渉に臨む態度に疑問を投げかけているようであるが、これは事実を曲解ないし誤解したためであるとしか言いようがない。

すなわち、調停の席で申立人が事件本人と面会したことが一度あり、その場に申立人代理人の高田も同席したが、事件本人は母(申立人)の胸に飛び込み甘えるようなことは確かになかったものの、これは約二年を経て再会した母に対する気恥ずかしさに由来するものと思料されるのであって、この光景をとらえて同席した調査官は「事件本人は申立人から逃げた」などと表現したが(その旨の調査書も作成されているものと思われるが)、僅か四〜五才の幼児が数年振りに再会した母に飛びついて甘えることの方が余程不自然であり、上記事実を見て「二人の気持ちにどこか行き違いがある」との理解は正に母子の感情に深い思いを尽くさない皮相的見解であると考えられること、また申立人は平成三年秋ころから幼稚園の運動会、参観日等の際、事件本人と面会する機会を得たが、これは幼稚園の担当教師の許可・協力・理解を得た上でのものであり、かつ面会方法も最初は遠くから事件本人を見守り、次いで近くへ寄り、更には声をかけるといったように工夫を重ねた上で事件本人との面会を行ったのであり、この面接交渉に事件本人が動揺した兆候は全くなく、「二人の気持ちに行き違いがある」とまで断定し得るのか甚だ疑問があることなどの理由から原審判の認定事実及び事案の理解には曲解、誤解があると言わざるを得ないのである。

五 事件本人が幼少であればあるほど、母である申立人との面接交渉による愛情の交換がその健やかな育成に不可欠であること、また法的には申立人には母として事件本人との自由な面接交渉権が認められることは多言を要しないところである。

原審判は相手方及びその両親の面接交渉を頑なに拒絶する態度を安易に肯定し、申立人の面接交渉権を極めて後退させ限定した形で一部認容したものに他ならない。

仮に原審判のいうように申立人と事件本人の間に気持ちの行き違いがあるとしても、それは面接交渉が容認されないがためであって、決して申立人の責めに帰すべきことではない。

本件において、面接交渉の機会が増大すればするほど事件本人の精神的成長に資することは間違いないものと確信し、裁判所の面接交渉に対する積極的後見的関与を期待して本抗告に及んだ次第である。

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